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Essay 「研究室へのいざない」

 理系学生は、卒業に向けて研究論文、通称「卒論」を提出しなければならない。卒論を書き上げるために、日々研究室に通い、ときに深夜まで実験に勤しむのが理系学生の常である。卒業研究は研究室という環境下で実施される。研究室は理系人材の成長を促す上で極めて重要な場所であるのだが、読者の皆様の多くはその実態について知る術を持たないであろう。この場を借りて紹介させて頂く。

 先に断っておくが、研究室と一言でいっても実に様々だ。三者三様、十人十色、千差万別である。大学教員の数だけあると言ってもよいものであるが、なぜか私にとっては研究室のイメージは 2 つに絞られる。「珈琲の香りが漂う癒やし系研究室」と「バチバチの競争社会を実感できる白い巨塔(ご存知?)系研究室」だ。

 前者型の研究室では、往々にして、時間がゆっくり過ぎる。学生はまばらであり、研究室の奥の部屋では、教授が居眠りをしているものである(注:教授職は楽だと思われてしまうが、実はハードな仕事故に肉体的限界が来ただけ…かもしれない)。時間に縛られることなくソファーに横になり、黙々とマイペースで好きなことと向き合いたくなる謎の空気感がある。こうした研究室では、試薬棚に並ぶビンテージものの薬品を片目に空想に耽ることが最良の楽しみ方である。いつの時代か分からないが、タイムスリップしたかのような錯覚を覚えることもしばしば。そんな感じで昼間は開店休業状態であるものの、深夜になると何故だか実験をし出す学生が出てくる。また、学会前になると信じられないほど活気づく(焦り出す)という特徴もある。気をつけないといけないのは、研究の話題が盛り上がったときである。もともと時間感覚が狂った人の集まりなので議論が始まるとエンドレスと思った方がよい。タチが悪いことに、試薬棚にはお酒も並んでいるものであり(私的意見)、誰かが酔い潰れるまでは帰れない。

 後者型で思い出すのは、国の研究機関のとある研究室である。前者型とは一転、非常に活動的で、大学生、大学院生、博士研究者が忙しなく白衣をぶんぶん振り回しながら実験を進めている。また、学生はおろか企業を含めた学外、海外からの訪問者も絶えることがない。研究成果を発表する場も多数用意されており、毎週のように複数研究室が関わる大規模なセミナーがある。誰しもが一流国際誌上での大論文の発表や特許を目指した熾烈な世界的競争の最中にいることを強く実感している。例え研究室に入ったばかりの新米ペーペーであっても、プロ研究者コミュニティの一員として最先端研究を進めているという自負が出てくるため、交感神経バクバクでアドレナリンドバドバなのである。当然、昼も夜も関係なく働く強者が出てくる。結果として灯りが年中消えることのない不夜城となる。先輩学生の T さんは、研究室内に炊飯器を持ち込み自炊をし、歯磨きをし、シャワーを浴び、柔らかな寝袋と枕を持ち込み睡眠を取るという生活を続けていた。研究室に住んでいるのである。何の為にアパートを借りているのか?という不毛な質問をしたくなる。そんなボクも研究が忙しくなったときに、T さんの隣のソファで仮眠をとったことがあるが、朝目覚めたときに、T さんの顔が目の前にあって、他人の家に無断で泊まってしまったような何とも言えない気持ちになったのを良く覚えている。

 さて、皆さんは研究室と聞いてどういうものを思い浮かべるであろうか?現在勤務先の北九州市立大学にも両者のタイプが存在している。先に紹介したものはやや行き過ぎている部分があるかもしれないが、どちらも理系特有の空気が醸成された異質な環境であり、それぞれに良さがあると思う。中高生にはイメージしにくいかもしれないが、百聞は一見にしかず。一度この空気を吸いにきてはいかがか。